悩める青年 老子と格闘中
気に入った個所をノートに箇条書きして自分なりの解釈を長々と書くスタイルです。
哲学書ですのでわからないところもありますが、難しい箇所や言葉はいっそのこと読み飛ばしています(笑)いつかわかる日が来るのかな~。
さて、その老子について自分なりの解釈を考えました。
あくまでも「ジャイアントはこう読んだ」ですので、意見の食い違いがある事はご容赦ください。
今回紹介するのは第一章~第三章までです。
[第一章 自然観 最も難しい入口]
[第二章 聖人は多くを語らず!]
[第三章 政治に言及! ちょっと異色の章?]
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[第一章 自然観 最も難しい入口]
――道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。
これは老子 第一章の書き下し文の一部です。
いきなりなんじゃこりゃって感じですよね(笑)
第一章から道という概念が出てきましたよ。この道という言葉はどうも老子さんのこだわりのようで、この後もちょくちょく出てきます。でも第一章からこんなことを言い出すので入口でつまずいちゃう感じですよね(笑)
僕はこの「道」こそが老子さん永遠のテーマなんじゃないかと思っています。まあ、道家というカテゴリーが組まれるくらいですので。道に関しては僕自身、これから皆様と勉強していきたいと思います。
「道」が老子さん永遠のテーマであり、その正体がわからないとすれば、もう一つの言葉に注目します。「名」とは何なのでしょう。上記の書き下し文に続き、老子さんは言います。
――名無きは天地の始め、名有るは万物の母。
「天地が生まれる頃には名は無かった。あらゆるものが生まれて名が有る」と読んでみました。……と言われてもピンときませんよね。僕もよくわからないです(笑)
ただこの部分、のちの章に通じるものが出てきます。天地の始めであるとか、万物の母であるとか、老子さんの「自然観」が見えて来るようです。天地は文字通り自然界の事ではないでしょうか。天地の始めとなると、現代風に言えば宇宙の誕生ともつながるテーマに聞こえますよね。この世はどのように始まったのか、そんなことを老子さんは考えていたのかもしれません。そして万物の母というのも自然に存在するあらゆる物体を指していると解釈しています。
仮にそう考えると老子さん、すごく壮大な自然観を持っています。で、のちの章を拝見すれば本当に自然というものを神聖視しています。
あらゆるものが存在しているがゆえにそれに名がつく、というところでしょうか。
第一章から難しい入口でしたが、この頃からすでに老子さんの考えの根底が見え隠れしてきますね。
[第二章 聖人は多くを語らず!]
第二章にはおそらく「道」と双璧であろう老子さんの第二のテーマが出てきます。
以下僕の気に入った個所の引用です。
――是を以て聖人は無為の事に処り、不言の教えを行う。
さて、聖人は何となく字面で「まあ、老子の理想とする人なんだろうな」と思われますが、その後「無為」という難しい言葉が出てきます。
老子さんの「ワシの言葉を簡単に理解させてたまるかい!」という言葉が聞こえてきそうですね。ですがこれも難しいのでいったん置いといて「不言の教えを行う」を見ていただければ何となく解釈はできそうです。
不言の教えとは文字通り言葉によらない教化や指導の事ですよね?
「いちいち言葉で語るんじゃない! 俺を見て学べ!」と聞こえてきそうで潔いですね(笑)ここで老子さんの理想とする「聖人」の在り方が見えてきます。
「聖人は無為の立場に身を置いて言葉に頼らないで人に教える」と読めば、無為の意味は分からなくても何となく理解できると思います。背中で語るリーダー像を想像しますね。
[第三章 政治に言及! ちょっと異色の章?]
第三章は自然観が冴える老子さんが珍しく政治に言及している章です。
以下引用です。
――是を以て聖人の治は其の心を虚しくして其の腹を満たし、その志を弱くして其の骨を強くし、常に民をして無知無欲なら使め、夫の知者をして敢えて為さざらしむ。
どうでしょう。聖人が治める政治というのは「心を虚しくしようよ」「志を弱くしようよ」などとネガティブなニュアンスが含まれていそうですね。
常に国民を無知無欲(知識も欲もない状態)にしようとまで言っています。老先生、「知」というものが嫌いなのでしょうか?(苦笑)
ただ、知識を身につけるな!と言っているのは「夫の知者をして敢えて為さざらしむ」に繋がるように、「知恵者に国を回させてはいけない」と言っているようです。なぜでしょう?
現実に知恵だけがすぐれた人ってどことなくズルい思考の人が多いじゃないですか。ここにしっかりとした人格が形成されて初めて立派な人となりうるということです。
老子さんが生きた時代は戦いの時代ですから、そりゃ立派な王もいればズルい王様もいたわけです。そんなズルい王様に政治を任せるぐらいなら、最初から知恵なんて身につけない方がマシだ、と言っているのかもしれません。
余談に逸れますが、知という概念が人間の文化で形成されたものなのです。だからこそ人類がこうして発展しているわけです。でも、一方で自然の破壊とか叫ばれてますよね? 知というのは使いようによっては凶器にもなりますし老子さんの考えに沿えば、「人間は愚かしくて小賢しい生き物だよ。そんな知識よりも自然でいようよ」と言っているように聞こえるんですよね。それが正しいかは別として、この第三章というのは老子さんの自然観や政治観を知れる貴重な章だと思うのです。
いかがだったでしょうか。
老子は難しいし入口で足踏みしてしまう気もしますが、すっと身近に入っていただけましたか?
僕はそれまで難しい本は読まないまま何となく老子を手に取ってみたのですが、よく精読してみると今の人たちの心にもスッと入ってくる気がします。
これからも老子に関係のある事ないこと発信していこうと思います。
ではまた!