悩める青年 老子と格闘中 三
老子をちまちまと読み進めています。
今回は第五章について気になった個所を引用・解釈していこうと思います。
第四章まではこちらです。
[第五章 心を無にする!]
早速ですが、引用です。
――聖人は仁ならず。百姓を以て芻狗(すうく)と為す。
老子さんの「聖人観」が見えてきました。
老子さんの言う聖人とは仁を持っていないのですね。百姓を犬も同然と言っています。
なんだか中国の思想家って仁愛、仁徳を説いてそうですよね。もちろん浅学の身の勝手な印象ですが、当たらずとも遠からずではないでしょうか。
ところが老子さんは「聖人はそんなに優しくないよ!」と言っているのです。少し驚きです。
世間的な印象と実際の老子さんの発言にギャップがあるのは、彼が中原から離れた楚の国の人ということで、仁のイメージの一端を担っている儒家の一派と相容れない考え方にあると思うのですが、冗長になるのでここでは伏せます。
同章の最後には、
――多言はしばしば窮す、中を守るに如かず。
と言っています。
以前にも不言の教えを行うという言葉が出てきましたね。似た意味合いにとれます。
あまり多くを語るより、心を落ち着けてつつましく生きていこう、と言っているのですね。
「知」を批判的に見たり、「聖人に仁は無い」と言ったり、老子さんの理想像はあくまでも「無」であり「自然」です。
老子さんに言わせれば聖人ですら「百姓を犬として扱う」のですから、人の営みによって作られた概念や雑念を否定的に言っているのです。
賢しい多言を避け、心を静かにして過ごそうと教えているのかもしれません。
現代人は忙しいです。それに追随するようにストレスが多い。誰もが匿名で人を叩く環境もあります。職場、学校、私生活と知や気を使う場面が多いのです。
知は生活を豊かにしました。
一方で代価を支払った豊かさにも取れます。
はっきり言って知が武器になるこの時代に老子さんの思想は相慣れないものかもしれません。ですが知によって育まれた現代の文明に疲れた人にこそ老子さんの言葉は胸に響いてくると思います。
老子さんの言うように、疲れたらいったん無理から離れて心を落ち着ける。
そんな時間を作ってみても良いのかもしれませんね。
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